ものづくり
No. 01
mono_rakka
おいしく育つ「島の宝」

おぢか島落花生の始まり
RIMG0064ss落花生が小値賀島でつくられ始めたのは、今から70年も前のこと。当時、日本は戦争の時代を迎えていました。なかなか食べ物が手に入らない中、もちろん飴玉やおまんじゅうといった子どもたちの大好きなおやつも手に入らなくなっていました。島では今でも大切にされている言葉があります。それは「子どもは島の宝」。楽しみが少なくなってしまった子どもたちの姿を見た大人たちが、おやつ代わりに落花生をつくったのが小値賀島落花生の始まりでした。小値賀島の土は太陽をたくさん浴びて輝く赤土です。昔から、赤土でつくるジャガイモやサツマイモといった根物は甘くできると言われています。落花生も同じように、9月の収穫を迎える頃、甘くてコクのある美味しい豆に育ちます。その評判は、お正月が過ぎるまでには売り切れてしまうほどです。IMG_0064s

落花生にかける想い
RIMG0403sそんな島落花生を支えているのは、昔も今も変わらず島のお父さんとお母さん。落花生農家の福崎市郎さんは「赤土で育てる落花生はおいしかっちゃねぇ」と柔らかくてとろけるような笑顔でこたえてくれました。「それに落花生は他の作物に比べて農薬も必要なかし、土づくりさえちゃんとしてれば、よか落花生がでくったい」。福崎さんのいう「土づくり」というのは、種をまく前に何度もなんども鋤き込んで土をふかふかにしておくこと。落花生はその名の通り、花が落ちたところから子房が土にもぐりこんで実が生ります。だから、土がふかふかでないとたくさん実をつけることができません。そしてもうひとつは、落花生が赤土からしっかりと栄養分を吸収できるように草を生やさないこと。落花生の芽が出て大きくなるまでは、草が伸びすぎないよう早いうちから取り除きます。「つくるからにはおいしい落花生をぎょうさん作りたかよ。こいからも、よか土づくりをしてどんどん収穫量を増やしていきたかつよ」。甘い笑顔の中に、落花生にかける熱い想いがひしひしと伝わってくるのでした。

島の宝に磨きあげる
IMG_0092s肝っ玉が大きくて懐の深い島のお母さん。その言葉がぴったりの吉永志生満さんは、落花生を加工するリーダー的存在。そして、一番小値賀島落花生の価値を分かっている人です。「小値賀の落花生をこげな高かもんて思う人がおるかもしれんけど、私はそげなことちっとも思わんとよ」。大きな鉄鍋にこれまた大きなしゃもじで落花生を炒りながら、少し遠慮がちに、でもピシッと言いました。額には大粒の汗。とても根気のいる作業です。いつも「大変、たいへん」と言いながら、機械炒りと手炒りの違いにこだわっておいしい落花生に仕上げてくれます。戦時中の島の大人たちや、福崎さん、吉永さんのことを想いながら香ばしくかおる落花生をかみしめていると、子どもたちのおやつ代わりにつくり始めた落花生も、島のお父さんお母さんに支えられておいしく育つ「島の宝」なんだなと感じずにはいられません。