ものづくり
No. 6
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あざやかな緑。包まれる磯の香り。

50年の勘
冬の海にぽつんと浮かぶ一隻の船。大きくうねる波が時折押し寄せては船をぐわんと揺らします。そんな中、黙々と作業しているのは、わかめの養殖を始めて50年になる角永富義さん。富義さんと言えば、かんころ餅づくりを家族で営む角永家のお父さんです。
とみよしさん
50年前、島に養殖の技術が入って以来ずっと、向う島が見えるこの海でわかめの養殖をしています。10年前からはこんぶの養殖も始め、寒い冬の時期は訪れる春の収穫を目指して種を植え付けます。船の上から等間隔に浮がついたロープをたぐりよせ、わずかながら芽がでている紐を一本ずつ間隔を空けて挿し込んでいきます。
「空けすぎると競わんから太くならん、狭すぎると成長せん。ちょうどいい間隔でせんとりっぱなのがでけんたい」。
150mのロープがわかめ用に8本、こんぶ用に2本。わかめは5月に種付けをして10月まで地上で管理し11月に植え付け。1月のじんわりと寒さが体にしみ込むこの日はこんぶの植え付けです。ラジオを聴きながら地道で細かな作業が延々と続きます。
種
植え付け

海の変化と共に
今でこそ養殖をするのは島内で富義さん一人ですが、昔は20人程がこの海に船を浮かべていたそうです。当時は乾燥わかめ用の養殖でした。ところが、塩蔵わかめが流行りだしてからは徐々に売れなくなり、それと同時に島の人は養殖から離れていきました。塩蔵の技術が長崎県漁連から入って以来、富義さんも塩蔵わかめに切り替えて続けています。
「天然のわかめがとれんから養殖するしかなかったい。36年前は漁にでて、潜ってアワビもとって、沖にでれんときは百姓もしよったよ。心臓わるうしてからは潜りもでけんけど、養殖はまだ一人でもでくる」。
少し寂しそうに、でも確かな自信が感じられる後ろ姿。
そんな富義さんも、海の環境の変化には危機を感じています。こんぶの養殖を始めた10年前あたりから魚による食害が出始め、温暖化の影響か水の中の栄養分が足りなくなっていると感じています。
「10年前までは魚避けの網をはる必要もなかったし、種だってロープにぐるぐる巻きつけるだけで芽が出て大きくなりよった。わざわざ間隔なんて空ける必要なかったつけどな」。
環境の変化に抗うことはできませんが、ここでわかめとこんぶができる限り富義さんは続けます。最近は、息子の知志さんと春の収穫作業を行うようになりました。
柿の浜

梅の花が知らせる収穫
梅の花角永家の庭に立派な枝を広げる梅の木が満開の花をつける頃、わかめの収穫が始まります。富義さんと海に出るときはたいてい曇り空。雨まで降りだす中、知志さんと連れ立って収穫へでかけます。
「こん時期は海に出られれば毎日収穫。午前中収穫したら昼から湯がく。その繰り返したい」。
揺れる波間から立派に成長したわかめが引き上げられます。茎が2㎝程度太っているものを素早く見極めてはナイフで切り落とす。まだ太っていないわかめは再び海へ。ロープをたぐりよせては引き上げて切り落とす。知志さんと息の合った作業が穏やかな沈黙のなか続きます。船がいっぱいになったところで今日の収穫は終了です。重さにして400kg~500kg。
収穫

家に戻ると休む間もなく獲れたてのわかめを湯がきます。
「新鮮なうちに湯がかんと美味しくなかったい。湯がく時間は、そうな~。計っとらんけど、食べてシャキシャキするぐらいで揚げとるよ」。
立ち込める湯気と磯の香り。鮮やかな緑になったわかめを冷ます水は海から直接引き上げています。富義さんが湯がいては、知志さんが冷ましながら塩をもみ込む。再び穏やかな沈黙の時間が流れます。
湯がき
塩とわかめ
塩には丸1日常温で漬け込み、その後冷凍で保管します。さっと水洗いしてお味噌汁に、サラダに。でも一番おすすめなのは、お醤油をかけてシンプルに食べること。
海の環境変化を背負いながらも、変わらず美味しくいただけることの幸せ。この幸せがずっと続くことを願いながら、今日も富義さんは海へ出かけます。